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レインボー通信

私は、神奈川県の県立高校卒で、軟式テニス部に所属していました。同学年の男子部員は10名ほどで、強豪でも弱小でもない、真ん中より少しましぐらいの、中途半端な結果に甘んじてばかりのレベルでしたが、朝練に放課後、合宿と、3年生の夏まで、部活ばかりの毎日でした。

 

当時の仲間の一人に、思い返せばまず間違いなく、トランスジェンダーの男子がいました。色白で力が弱く、当時の感覚で言えば、とてもナヨナヨした、それこそ女子みたいな男子という認識が、衆目の一致するところでした。熾烈ないじめのようなことはなかったものの、私たちは彼に対し、声が高いことやナヨッとした仕草を見咎め、茶化すような関わりをしていたわけですが、今にして思えば、なんて酷いことをしたのかと思います。当時は性の多様性などという概念すら社会に知られておらず、私を含め、みんな無知でした。

 

その後も私は、特段この問題を意識することなく、弁護士になり、平成18年、ハワイ大学のロースクールに留学しました。そして最初の自己紹介で、衝撃を受けました。私たちLLMの海外組が10人、JDのアメリカ人が100人ほどの小さなクラスでしたが、うち確か少なくとも5人が、「私はゲイです」、あるいは「レズビアンです」として自己紹介をしたのです。アメリカの学校では当たり前のことだったようで、誰も驚いたりしていませんでしたが、私はあまりのカルチャーショックに、「テツと呼んでほしい。間違ってもケツとは呼ばないで。」などという、いま考えても意味不明な自己紹介に及んでしまったのでした(この時のクラスの冷笑が、今も忘れられません)。

「こんなにいるんだ」、「最初に堂々と言っちゃうんだ」、「誰も驚かないんだ」というのが、当時の私の、偽らざる感想でした。

 

沖縄に戻った平成20年から6年間、琉球大学ロースクールで非常勤講師を務めていた時には、何人もの性的少数者の方々に会いました。ハワイでの経験があったので、私たちの中に一定の割合で、常に多様な性が存在することはわかっていたつもりでしたが、改めて認識を強くしました。そして、自分の身内にトランスジェンダーがいることにはっきり気付いたのも、この頃でした。このような経緯で私は、徐々に「性のあり方はグラデーションであり、二つに一つではない。」という理解を持つようになりました。

 

私たちの中には、決して無視できない割合で、多様な性のあり方が存在しています。これまで私たちは、単に知らないか、目を逸らしてきたか、あるいはその両方だっただけです。その人のありのままを受け入れない社会は、どれだけ生きづらいでしょうか。無知と身勝手で、どれだけ多くの人々に、不自由な日々と、その尊厳が軽んじられる人生を強要しているでしょうか。

 

ある自治体で性の多様性を尊重する条例を制定するにあたり、公聴会が開催され、弁護士会からの派遣で出席したことがありました。そこで一部の方々は、「自分の周りにも、子供たちの学校にも、性的マイノリティの人なんていない。」ということを述べたため、私は、冒頭の高校生のときの話をしました。知らなかったから見えなかったのであり、必ず、皆さんの周りにもいるし、見えないことで、その方々にはとても辛い思いをさせているはずということ。

 

社会の認識を変えるのは、大変な作業です。ですが、コロナ禍で一瞬にして常識がひっくり返っても、目の前の日常は淡々としています。私たち人間は、価値観などの急で大きな変化にも、すぐに順応することができます。いまこの瞬間も苦しんでいる当事者のことを思うと、一刻も早く、ドラスティックに価値観が変わり、誰もが自分らしく、誇りを持って生きることのできる社会が実現するといいなと、心から思います。

 

文責 弁護士 天方徹